にんげんのブログ

あたまのなかのもやもやを ことばにしていく

考えない人から考える人へ

私は大学に入学するまで、

何も考えずに、その場その場で行動して

まさに行き当たりばったりタイプの人間だった

(だった、というか、今も少々。)

 

 

思い悩んでいる後輩の相談に乗ると、

そんな暗いことばかり考えてないで、

気持ちを明るく持とう!

みたいなことを返すような

(激しく後悔している)

 

直観で動くし、

失敗したら「ドンマイ!」みたいな。

 

論理的なタイプは苦手とすら思ったし、日常の中に「なぜ?」と思うことが極端に少ない生活だったと思う。

(チコちゃんに叱られます)

 

 

それが、いつの間にか

考える人に変わってきた。

 

きっかけはなんだったか、、

ひとつには、コロナ禍で人と会わない生活が始まったことにあったと思う。

 

それまでの私の生活は、毎日朝起きたら大学に行って、友達とたわいのない話をして、直接塾講師のアルバイト先に向かって、そこからまた4時間半喋り続けて、帰宅して彼氏や後輩と電話して、とか、オフの日は1人で家で過ごすなんてあり得なくて、必ず誰かと美味しいご飯を食べに行けばおしゃべり。お酒も好きだから、飲み会。どうでもいい話をベラベラ話す生活。

 

家で静かにしてるなんて、逆にストレスだったし、ゴロゴロしてるのの何が楽しいの?状態(こうなった経緯は別のエントリで)

 

毎日外を歩き回る大学生活が超楽しくて、元々わたしは人といないと気が済まないタイプだから、そういう生活大好きだった。

 

当たり前だけど、家で静かに自分に向き合う、考え事をする時間なんてなかった。

 

家に帰れば家族と話すか、お風呂に入っている間は眠くて寝てたし、、。

 

それがコロナ禍になって、1人で過ごす時間(授業はオンライン、外出制限で1人にならざるを得ない!)ができただけで、おしゃべりな私は自問自答を始めるようになった。

 

思考の癖が無さすぎて、最初の方は「地球と人間」について考えて(スケール😂)、挙げ句の果てに私はこの世にいらない、むしろ、愚かな人間はいなくなるべきだとかいう謎の結論に至ってしまった。

(親に本気で心配された)

 

きっかけのもう一つは就職活動。

「自己分析した方がいいよー」と先輩やキャリアセンターの職員から言われ、「なんじゃそりゃ」と思いながらスタート。

はじめは自分の経歴を振り返ってシートに起こすなど形式的に進んだが、

自分はどんな人?長所は?短所は?他人からはどう思われる?他己分析してみよう!なんて進めていくと、見事に沼。

 

ジョハリの窓の通りの自分からみた自己と他人から見た自己の違いや、その人との間柄(過去にどんなことがあったか、その人のことはどう思って接していたか)について、考え出せばキリがなかった。

 

 

そして、初めて考え出したら止まらない!!!を経験する。

コロナが少しだけ落ち着いた2020年夏秋頃、高校生の頃、思い悩んだら相談してきてくれた後輩や、クラスで仲良しだった友達と再会して、考えるタイプの彼女たちの話が今になってようやくわかってきた気がする、と正直に伝えた。

 

そして、「広く浅く」タイプで生きてきた私が「狭く深く」の良さに気づき、コロナ禍も相まって人間関係のつながりが淘汰されていくのだった💦💦💦

 

 

本当に能天気で何も考えてない高校時代の私に、色々話してくれた2人には感謝に堪えないし、ずっと私の前を歩いている気がする。

 

後輩のWちゃんはブログにも、私と会った日のこと、考えたことを書いてくれたのが嬉しかった。

ただ闇雲に考えていると勝手に自信をなくしたり暗くなってしまうこともあったけど、長所と短所は紙一重だから、ポジティブに捉える、ポジティブ変換するっていう意識を持つだけで変わるっていうことだったかな。

 

高校で出会ったRちゃんとは、彼女が転校してから会える頻度が減っていたけど、久しぶりに会っても益々好きになっていくし憧れる私の理想の女の子。

自分の生きたいように生きるを追求していて、世間体に惑わされない。

それまでの私はレールに乗って生きてきたから、就活のタイミングでRちゃんと再会して一晩中語り尽くせたことはめちゃくちゃ大きかったー。

この子とも高校時代によく話してたけど、私が理解できてるようで本質を理解できていなかったなって今になって気づく。。

 

 

この世に、全く同じ人はいないから、私の身の回りにもいろんな人がいるんだけど、まさに違う価値観に触れたり、考え方に驚かされたりするのがこの2人。

 

尊敬してます。